客と占い師がケンカ!? 街頭ではあらゆることが起こる/天童春樹 第2回

占いという分野において、独自の力で道を切り拓き、先駆者として占い業界を引っ張ってきたレジェンドたちに自らの半生を語っていただきました。 今、多くの人に親しまれている「占い」を形作った人々の生きざまや想いを深掘りしていきます。

人相術の第一人者

天童春樹

約半世紀以上、街頭の占い師として、多くの人が行き交う街頭で活動してきた天童春樹さん。長いキャリアの間に出会った人々や世の中の変化とは?

街頭占いを経験しないとわからない、その世界のルールや多種多様な人間模様など、街頭占いにまつわる悲喜こもごもについて語っていただきました。

年表
レジェンドの足あと

占い師もお客さんも
とにかく自由!
それが「街頭占い」の魅力

街頭占いは、経験したことのない人にとっては全く未知の世界だと思います。中には「胡散臭い」というイメージを持つ人もいるかもしれません。

しかし、私が街頭占いを一言で表すならば「自由」という言葉を選ぶでしょう。それだけ型にはめられることのない仕事だからです。

例えば、街頭占いに「先生、お願いします」とかしこまって来るお客さんはほとんどいません。「ちょっと占ってもらおうか」というような軽い気持ちでフラっと訪れる方のほうが多いのではないでしょうか。そして、多種多様な人々が訪れるのも街頭占いの特徴です。会社員、社長、もしくは酔っ払い、裏稼業の人たち…。街頭にはあらゆる人がいますので、そういった人、全てがお客さんになります。

占い師のほうも、誰彼にとはばかることなく自由に発言できます。本当のことを言えるのも街頭占いの魅力のひとつですね。

とはいえ、街頭占いにもいくつかのルールがあります。特に、場所に関する決めごとは、コミュニティの秩序を維持するためにも重要です。

街頭占いにも“一等地”があります。具体的には雨風がしのげる場所や、アーケードの中などがそうです。しかし、当然そういった“一等地”を使用できる人数には限界がありますから、誰がいい場所を使うのか、この点については仲間同士でローテーションをして譲り合っています。

このようなルールが存在するという点では、街頭占いの世界も他の社会と大きく変わらないですね。礼儀や仁義を守ることが大事です。やはり、一人で“一等地”を占有するということは御法度。自由は許されていても、まるっきり自分勝手にやっていいというわけではありません。

私の場合、街頭で鑑定をするのは、18時から21時ということが多いです。鑑定が終わった後は飲みに行きます。占いで稼いだお金の半分以上がその日の飲み代で消えてしまったなんてこともありましたね。

レジェンドの足あと

占いが当たってないから…
客と占い師がケンカ!?

50年も街頭に出ていると、時代とともに移り変わっていくものもたくさん目にします。街頭に立つ人々もいろいろと変化を遂げましたね。

今ではあまり見かけなくなりましたが、かつては占いに限らず奇抜な方法でお客さんを惹きつける人も多くいました。例えば、波動で木の札を割る、あるいは刃物を使ったパフォーマンスをするなどです。また、霊視をしたり、祈祷をしたりしてお金をもらう霊能者のような人もいました。

中には、「悪霊がついている」などと言って、堂々と高額な請求をする悪徳業者もいたのです。あらゆる人が集まる街頭は、妖怪の吹き溜まりのようなものでした。いい妖怪も悪い妖怪もごちゃまぜだからこそ、人を見る目を養わなければならない場だったのです。

占いに訪れるお客さんのほうも、時代によって変化していると感じます。

特に最近は、通信技術がどんどん進化していますから、鑑定の結果が意にそぐわなかったりすると、すぐに悪いクチコミがネットに書き込まれたりします。これはひと昔前までは考えられなかったことですね。

もちろん、これまでも占いの内容を不満に思うお客さんはいましたが、大抵は、その場で「当たってない」と占い師に直接指摘してくるのです。血の気の多いお客さんと占い師の場合、それぞれがハッキリとモノを言うものだから、ヒートアップしすぎてケンカに発展し、時には警察沙汰になるほど大事になることもありましたね。

こんなことを言うと驚かせてしまうかもしれませんが、ケンカといっても悪いことばかりではありません。思い切りぶつかった後に、一緒に飲みに行って和解して仲良くなるというケースもよく見かけました。そんなムチャクチャな人間模様が見られるのも街頭のおもしろいところですね。

占い師やお客さんだけでなく、街頭占いの現場自体も変化しています。

かつては、易者が立つ場所を巡ってひと悶着起こるのも珍しくありませんでした。場所代、つまりはみかじめ料を要求されることもしばしば。しかし、今は規制も厳しくなり、こういったことはめったには起こらなくなりましたね。

クリーンな時代になったのは喜ばしいですが、私たち占い師にとっても厳しい面もあることは確かです。最近では、広場やアーケード街などで占いをすること自体を禁止するという地域もあります。街頭占いだけでなく、昔は街頭でよく見かけた屋台や露天商なども規制によって姿を消しているのです。

最近の世の中は、とにかく物質中心、見てくれがよければいいという風に変化していると感じます。街から心の触れ合いが減っているようで寂しくもありますね。

レジェンドの足あと

占いと街頭、そして人が好きだから…
占い師を続ける理由

長い間、鑑定を通して多くの人を見ていると、人の顔の変化にも気づくようになります。 人相は社会の影響を受けるため、その時代ごとに傾向というものが出てくるのでしょう。例えば、最近は、ほんわかした顔立ちの人が多いという印象です。まあ、平和な時代だということかもしれません。

逆に、まだ私が若かった頃はもっと怖い顔をした人が多かったのです。非常に鋭い目つきをした人、虎のような眼光の人が、街のそこかしこにいましたから。人々の闘争心がむき出しになるような、今よりももっと弱肉強食を是とする社会だったからでしょう。

しかし、いつの時代にも変わらないのは、あらゆることが起こりうる、街頭占いの人間模様ではないでしょうか。

街頭の易者の多くは、占いと街頭、そして人が好きです。中にはそうではない人もいるでしょうが、多くの易者は、この3つの好きがあるから雨の日も風の日も街頭に出続けています。

私も16歳のときに街頭で占っている先輩を見て、そのおもしろさに魅了されました。そのときに「街頭の易者になって運命を研究していこう」と心に決めたのです。

もちろんお客さんから手厳しい言葉をぶつけられる日もあります。

私自身も、駆け出し時代の20歳のころは「当たらない」と指摘されていました。占い師も人間ですので、悪く言われると気持ちよくはありません。しかし、占い師として重要なのはお客さんから悪く言われても取り乱さないことです。

失敗したり、否定されたりしても、街頭に出て人と触れ合うことが大事なのです。そして多くの人を占い続けてください。実践は何よりも重要です。占い師にとって街頭は、自分自身を成長させる格好の場ということです。

>>第3回に続く

2023-04-13

出演者紹介

天童春樹(てんどうはるき)

天童春樹(てんどうはるき)

旧名:天道春樹
街頭易者として50余年の実績を持つ占い師。人相・手相の分野において日本での第一人者。
昭和22年8月19日申の刻に、現在の高知県高知市大津に生まれる。16歳で運命学に出会い、八木喜三朗先生に師事。19歳で大阪の「八木観相塾」の末席を汚す。高知県、高知市帯屋町の街頭での運命鑑定、自宅での予約鑑定、出張鑑定に応じている。要望があれば随時、「天童観相塾」を主催して、人相術の普及に努めている。

HP:http://wwwe.pikara.ne.jp/tendou-haruki/index.html

記事執筆者

菅谷圭祐(すがやけいすけ)

菅谷圭祐(すがやけいすけ)

ライター業とリサイクル業の二刀流で生計を立てています。机に向かって文章を書いたり、大きい荷物を運んだり、頭と体を日々フル活用しています。

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