
占いという分野において、独自の力で道を切り拓き、先駆者として占い業界を引っ張ってきたレジェンドたちに自らの半生を語っていただきました。 今、多くの人に親しまれている「占い」を形作った人々の生きざまや想いを深掘りしていきます。
あくなき探究心の塊
風水師
黒門
専門書から古文書まで日本中にある奇門遁甲の本を読破し、台湾や中国の原書を読み漁るという、まさに研究の虫のような月日を過ごしていた黒門さん。30代半ばでついに、伝道者としての日々をスタートさせます。
学ぶ側から伝える側となった黒門さんはどのようにして知識を伝播していったのでしょうか。1990年代後半から現在にまで続く黒門さんの仕事を振り返ります。


「占いフォーラム」を
きっかけに
学ぶ側から教える側へ
長らく学ぶことに全身全霊を注いできましたが、30代前半くらいから、人に教えるという活動にも携わるようになりました。そのきっかけというのも、インターネットを通じて様々な人と交流する中で、「人に教えられるほどに自分は占いに詳しくなっている」と気づいたからです。
当時の私は福岡に住んでいたこともあり、周りには占いに詳しい仲間もいませんでした。そのため自分の力量を把握するどころか、世の中にはもっと占いに詳しい人がたくさんいるのではないかという思いすらもあったのです。しかし、インターネット上で多くの人と意見を交わすうちに、自分の占いの知識を客観的に見られるようになりました。
最も大きかったのはニフティの「占いフォーラム」というサービスでの交流です。はじめはここで学ぼうと思っていたのですが、質問をしてもなかなか返事が返ってきません。逆に、私のほうが質問に答えてばかりでした(笑)。占いについて教えてもらうよりも教えることのほうが格段に多かったですね。
この「占いフォーラム」においては、大石眞行先生、松岡秀達(北斗柄)先生や紫微斗数の椎羅先生たちに出会って情報交換をするようにもなりました。彼らとは30年弱くらいの付き合いになります。
私自身、ゆくゆくはサラリーマンを辞めて自分の仕事をしていこうと思っていましたが、最初から占いの仕事を目指していたわけではありません。実際、会社を辞めて独立したばかりのころには、前業の経験を活かして今でいうSEO屋さんのようなことをしていたのです。
当時を振り返って考えてみると、インターネットの技術が普及してきたタイミングで仕事を独立できたというのは、非常によかったと思います。インターネットがなければ自分の占いの知識を客観的に見ることもできなかったでしょう。このとき、自分の知識に気づいたからこそ、占いを教えるという選択肢が自分の中に生まれたのだと思います。

偏りのない占術の知識を伝えたい
仕事としての占いは、97年に自分のサイトの中で通信講座を立ち上げたことが本格的なスタートとなります。もっとも30歳から40歳まではサラリーマンとの二足のわらじの時期を過ごしています。占い一本での生活に移行したのは40歳からですね。
通信講座の内容は四柱推命と奇門遁甲と風水です。今で言うオンライン占い講座の礎となるものですね。
ちなみに開始当初はかなり玄人向けの内容でした。最初に教える内容は「玄空飛星」の作盤で、五行や八卦といった基礎知識を事前に知っていることが前提でした。かなりコアな人向けですが、それでもわかるという人たちが来てくれていました。
私が人に教える上で大事にしているのは中国の奇門遁甲を日本に伝えるということです。特に、教えはじめた当時、日本の奇門遁甲の考え方にはすごく偏りがありました。奇門遁甲の源にあるのは中国ですから、その大本を教えたいという思いは大きかったですね。風水についても、台湾・中国に伝わる原理を知る人はほとんどいなかったので、日本に伝えなければならない、という使命感のもと講座をはじめるに至ったのです。
ちょうどこのころ、これまで学んできた知識をまとめた『活盤 奇門遁甲精義』(東洋書院)を書き上げました。この本も、日本に伝わる考え方だけにとらわれることなく、幅広い視点を盛り込んだ内容になっています。1997年にはほとんどでき上っていたのですが、韓国、中国で学んだことも加えて2002年に出版されました。この本については、思っていた以上に占い師の方からも様々な感想をいただきましたね。

それぞれの国で独自の発展を遂げた奇門遁甲
前回ご紹介した通り、台湾、韓国、中国、それぞれの奇門遁甲を学んできました。その中で見つけた、各国の違いについて少しご紹介します。
もともと中国で奇門遁甲というと卜占が基本です。方位という考え方は、日本や台湾で根付いたもので、元来、中国に方位といった概念はなかったようです。一方、韓国では推命として多く用いられています。中国から韓国へ伝わる際に、推命へと発展したのでしょう。
このように、大枠だけを見ても奇門遁甲はそれぞれの国で独自の発展を遂げていることがわかります。もちろん日本で独自の発展を遂げた奇門遁甲にもよさはあると思います。その上で、各地の奇門遁甲を網羅的に学んだ私としては、やはり大本の原理からしっかり奇門遁甲を伝えたいという思いがありました。

風水師としての大転機
テレビ出演で依頼殺到!
通信講座をはじめたころ、風水の鑑定もスタートさせました。風水師として活動する中で、大きな転機と言えるのが、2005年に日本テレビ系のドキュメンタリー番組『スーパーテレビ』に出演したことです。経営に行き詰っていた居酒屋やキャバクラを占いや風水を使って立て直すという内容で、私の鑑定の様子を詳しく紹介していただきました。
スーパーテレビを筆頭に様々なメディアで取り扱っていただいたおかげで、この出演以降、鑑定や占い講座の依頼が急増しました。当時は、1年分のセミナーが3日で埋まってしまうほどでした。その結果、鑑定の機会はかなり限られるようになったのです。
風水は、性質上、鑑定するのに少なくない時間を要します。依頼内容にもよりますが、例えば新築の建物を鑑定する場合、1件の相談で少なくとも半年はかかります。ですから、1ヶ月に相談を受けられるのは、3~4件が限度です。手相占いなどの場合は、1日に数十人を鑑定することも珍しくありませんが、風水の鑑定ではたくさんの方を見ることは難しいです。
もっと多くの方の鑑定ができればいいのでしょうが、時間的な制約がどうしてもあります。
こういった点を考えると、「正しい知識を持った人を増やして、鑑定できる方を輩出する」という意味でも、私の知る知識を教えるという仕事は重要なことだと思っています。

情報があふれる時代に
占いを学ぶ人の
恵まれた不幸とは?
「占いを教える」という分野において、私が通信講座をはじめた時代から比べると、規模も大きくなり、その方法もかなり整備されたのではないかと思います。
2001年より奇門風水学院を設立して、東京でセミナーを開始しました。そして2009年にはより多くの人が学べるようにと、奇門風水学院を株式会社黒門アカデミーとして法人化して常設校としました。当初、私自身は教えることをここまで大きく拡大しようとは思っていませんでした。しかし、鑑定技術と知識を持つ人がもっと必要だと考えるようになり、私の名を冠したアカデミーの設立に至ります。
2021年から黒門アカデミーの経営は私の手から離れ、私自身は一講師として講義を請け負っています。また、講師陣も黒門アカデミーの卒業生が担うようになり、奇門遁甲を教えられる人という観点でも以前よりもいい環境が整ってきているのではないかと思います。
また、学ぶために私のもとを訪れる方にも変化が生じています。
最初に通信講座を開講したころ、「奇門遁甲を学びたい」と言って来てくれる生徒さんは、玄人ばかりでした。しかし、テレビに出演してからは、事前の知識が全くない方もたくさん訪れるようになりました。今でも初心者向けの講座は一定の人気を誇っています。
しかし、黒門アカデミーに限らず、今後何かしらの占いを学びたいと思う人にとっては、恵まれすぎているゆえの不幸もあるのではないでしょうか。
今という時代は私が学んだ時代よりも多くの情報があり、恵まれた環境が整っています。恵まれてはいるのですが、情報がありすぎるのもまた問題です。正しい情報にいきつくことは、以前よりも困難になっているかもしれません。
そういった点で見ると今が本当の意味で恵まれているかというと難しい面もあるように感じています。
もちろん本一冊を手に入れるために四苦八苦していた私の時代が必ずしもよかったとは思いませんが、これから学ぶ人にも今の時代ならではの苦労があるはずです。どの時代においても苦労はあるかと思いますが、諦めることなく学びを続けてほしいと思います。
>>第3回「すべては開運するため! 占いの枠を超えた新たな挑戦」に続く
2023-3-5