
占いをなりわいとしている人はどんな本を読んでいるのか。あの人の考え方や視点はどうやって生まれたのか。本との出会いやエピソードとともに偏愛している本を紹介してもらいましょう。
占い師・古書店主/タナミユキ
飛びこむ勇気と長期視点をくれた本
卜部兼好(吉田兼好)
『徒然草』
小学校1年の時、担任の教師に嫌われた。
先生には自分の定めた偏狭な規律があった。作文は赤線で全て消された。頭から水を浴びせられ、一人家に帰されたことに驚いた親は会社に転勤を願い出た。
2学期には引っ越すことになり、私は転校した。
何もない土地から本屋のある町に越してすぐに母と本屋に行った。私に『古典文学全集二十六巻』(ポプラ社)と漫画を何冊か買ってくれたが、全集は「読みなさい」と言われたわけではなかった。
母が何を思って買ったのかわからないけれど、古典文学のゆるりとした風情が萎縮した私にとって薬になっていたような気がする。
古典文学は全部子ども用に現代語に訳されていた。全集は「読めるところから読めばいい」とわかったのもこの時だった。
『古事記』や『今昔物語』、『雨月物語』など読みやすいものから読む。全26冊を小5くらいまで、ちまちま読んだ。
『徒然草』は『枕草子・徒然草』で1冊になっていた。
左:『徒然草 新訂 改版』(岩波文庫)、右:『枕草子・徒然草』(ポプラ社)
小3の時、『徒然草』の「一芸に秀でること」(原本の百五十段)を読んで心にパッと火が灯った。
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり(後略)
※意訳
芸が下手なうちに人知れず特訓して、うまくなってから見せようと思っている人間は一生うまくならない。
下手でもうまい人たちに混じって、笑われても恥じることなく、変わらず努力できるならば、長い時間の精進で努力を怠った才能ある人を超えられる日も来る。奢りなく道を違わなければ必ず形になる。
引用:吉田兼好(著)、西尾実(校注)、安良岡康作(校注)『徒然草 新訂 改版』(岩波文庫)
芸の道についてであるが、私に向かって書かれているように心に届いた。
不器用で何事も習得の遅い私は「劣ったおのれ」を悲しんでいた。
「でも天性や素養がなくても地道に続けていけば、そのうちなんとかなると兼好法師が書いている」
そう思うと気が楽になり、「とりあえず飛び込んでみる」姿勢を小3から覚えた。
「最初から能力がなくても問題ない」
勝手に徒然草を意訳して自分に太鼓判を押し、私の“とりあえず人生”は唐突に始まった。
運動も勉強も絵も文章も、とりあえずやってみる。すぐに成果が出なくても凹まないで続ける。「いつかなんとかなれば」と何事も気長に構えることにした。
運動を始めて身体を鍛え、毎日20分ずつ勉強し、時間があると絵を描いた。
結局はすべて思っていた以上になんとかなった。
占い師人生も、知性も技術も経験も足りないうちに電話占い会社に所属して、ビシビシしごかれ実践した。
そうして現在、もろもろの継続の果てに自店で占いをし、古本屋を経営して出版の仕事もさせて頂いている。
「素養がなくても続けているうちに形になる」という『徒然草』の言葉のおかげで、くじけそうになるたびに「5~10年やってから考えよう」と持ち直してきた。
40歳の時、岩波文庫の『徒然草』をあらためて買った。
大人になって読み返すと「兼好、ちょっと説教くさいな」と笑ってしまったが、やはり名著には違いなく他の段にも沁みる言葉がある。
自信をなくしたり、痛い目にあって大ピンチになったりすることは歳を重ねてもまだある。
そんな時、小3の私がダダダと走って来て「まだいけるよ!大丈夫!」と大声で言ってくれる。
心が折れそうになるたび、『徒然草』は時を超えて私を支えてくれる。
2022-02-10