

1983年8月4日
13時15分
まとまった話をごちゃごちゃ付け加えたり引き延ばしたりすることの愚かさは執筆を通じて学んだ。引き延ばした末の「俺の冒険はまだまだこれからだ!」みたいな少年漫画の打ち切り的な締めにならないようにするのでご安心を。
執筆が終わって、この1ヶ月間の浦島太郎ぶりを実感する。
見ていない映画や読んでいない本、漫画の類が山積みにされていた。
これでやっとインプットできる! と喜んでいる頭の片隅で、年間を通してコンスタントに執筆されている方々の処理能力の高さを痛感させられた。
良い文章を書くにはそれだけ本を読まなければいけない。
ぼくは一応文学部を出させてもらっていて、読書の習慣はあるにはある。それを仕事にできたことは誠に嬉しいことだが、本を出す人間の読書量なのかと問われると、非常に心もとない。
「今は執筆中だから、趣味の読書は犠牲にして……」という考えは本末転倒なのである。本だけに。
ぼくは時間の使い方が下手なわりに集中力がない人間だという自覚がある。時間の使い方が下手な人は集中力が足りないからそうなっているのかもしれないが。
SNSで、メディアにたくさん文章を発表している方が読んだ本の感想を発信しているの目にして、すごいなあと思いながらスマホゲームに興じている自分を、ゲームともどもこの世からアンインストールしたくなる。
どんなにすばらしい作家さんでも、ぼくでも、1日は同じ24時間。
その時間をどう使うかがポイントだ。
初めての執筆、出版という人生の一大事を控えた人は、たぶん「よし、この本が完成するまではあらゆることを犠牲にして全集中するぞ!」みたいに考えるかもしれない。
それは危ない。どこかで意識的に区切りをつけるべきだと思う。
学生時代の「時間割り」は実は素晴らしいシステムだった。決められた時間で区切られているから集中も持つし、ペースもつかめる。
幸いにもぼくにはお笑いライブがあった。定期的に芸人としての仕事が入るから、外の空気も吸えるし、「この日は一日ライブだからこの日までにこの章まで書こう」みたいに自分で時間割りを組み、執筆のペースを掴むことができた。仕事を息抜きだと考えるな! と芸人仲間からは怒られそうだが。
このやり方を、知識のインプットにも対応させるべきだった。味気ない言い方だが「仕事」と割り切ってでも。読書だけでなく、ぼくの場合は占いと映画をかけ合わせているわけだから映画をインプットする時間を本の執筆中でも義務的に作らないといけないのではないか、と思った。
これから先、また本を書くことがあれば、の話だが。
11月28日、見本誌が届く。
見本誌といっても店頭に並ぶものと同じ。ひと足先に達成感と感慨が押し寄せてきたが、目を通してみると、カッコつけるわけではなく「もっとやれただろ」と思う部分が多々ある。
丁寧さという意味では、夏ごろのまだ余裕があった時に手がけていた部分の方が圧倒的だ。その頃は本の全体像もきちんと固まっておらず、とりあえず自分の占いの核となる部分や、ここは絶対入れたいという部分を時間をかけて書いたし、何よりもまだ体力にゆとりがあった。
クオリティが低いとまでは思わないけど、全体のテンションや緻密さが均一ではない、とは思った。
ぼくは普段占いの館で働いているけど、1日の最初と最後で鑑定のテンションが変わらないように心がけている。
後半だから疲れていました、みたいなことがまかり通るなら、ぼくは18時以降、夕方から夜の時間帯のスーパーに残っているお惣菜についているような、半額シールを貼られないといけないことになる。
お金を払って鑑定を受けている人には、ぼくのテンションやコンディションは関係ない。
この本を読む方も、どこで一度読む手を止めて、いつ読むのを再開するかわからないのだから、どのページから読んでも同じボルテージにならなければいけないな、と思った。
とはいえ、実際に印刷されたこの本には大満足させて頂いた。うのきさんのイラストは紙媒体で目にするとより素晴らしさが際立つ。
電子書籍もすごく便利だけど、紙の本で青春時代を過ごし、何度も本に助けられた自分としては、自分が文章を書いたページを「めくる」という感覚は何ものにも代えがたかった。
それでも、「もっとやれただろ」という思いは拭い去れない。
今回上梓した『占い芸人ますかた一真の自分で占えるようになる西洋占星術の超入門』という本は、自分のホロスコープを自分で読めるようになることがテーマだ。
ということは、これがいろんな人の手に渡れば渡るほど、多くの人がぼくに占ってもらう必要がなくなるかもしれない危険性をはらんでいる。
なので、ここでぼく自身のホロスコープを読んでみたいと思う。
「人生」を表すぼくの太陽はしし座9ハウスにある。
これは「ここではないどこかでキラキラ輝く」人生だということを表していて、現状に満足せず、まだ見たことがないものを求める傾向を示す。
ぼくは芸人になるまで学校でもアルバイト先でもどこか違和感を覚えていて、「早く芸人という変な人間たちがいる場所に飛び込みたい」と思っていたが、芸人になっても「どこか浮いている自分」というものを感じ、芸人でありながら占いもなりわいにするという道を選んだ。
せっかくさまざまな方の手を借りて出版という日の目を浴びさせて頂いたのに、あれこれ足りない部分に目がいくのは、不平不満が多いわけでなく、次を目指しているからなのかも、とポジティブな見方をさせて頂くことにした。
占いは日常をすこやかに過ごすためのものでもあるのだから。
9ハウスには「出版」という意味もある。
さらに「職業」を表すゾーンである10ハウスには「文章」を司る水星もある。
先日介護職をやっている占い好きの知人から、思い切って介護の仕事を辞めて占いに真剣に取り組もうかと相談を受けたが、ぼくは反対した。
安定した仕事を捨てることに危険を感じたのではなく「介護職」というオリジナリティ、キャラを捨てることを非常にもったいないと思ったからだ。
介護職での経験や、そこに身を置いているからこそわかることと占いをかけ合わせれば、その人だけのオリジナルができる。これから本を出そうと思っている占い師さんに生意気ながらアドバイスがあるとすれば、これに尽きる。
この本を書くにあたって、持っている占いの知識はもちろん、これまでの人生で悩んだことや芸人さんたちと接した上での経験、さらには好きな映画の話まで、まるでアンコウ鍋のごとくぼくの骨も皮も捨てることなく煮込ませていただいた。技術の不足は身を切ることで補った。
自分の人生が出版のゾーンにあるとすれば、人生そのものを「占い」というテーマと掛け合わせるやり方はあっていたのだと思う。
執筆を終えてひと息ついて、久しぶりに自分のホロスコープに目を向けてみると、なんだかあともう何冊か本を出せるかもしれないと思えてきた。
そんなふうに思えるような機会を与えてくれたザッパラスと出版社のインプレス様、このホロスコープの時間にぼくが出生するように仕込んでくれた両親にも感謝である。もちろん、この執筆日記にお付き合いいただいている読者の皆様にも。
ふたたびこういった執筆の機会に恵まれるように願いを込めて、この言葉で締めくくらせていただく。
「執筆という名の俺の冒険はまだまだこれからだ!」
2022-1-13