

11月3日(水)
10月中旬に、ぼくの本のタイトルも発売日も正式に決まり、WEBでの予約受付も始まった。
【予約特典あり】『占い芸人ますかた一真の自分で占えるようになる西洋占星術の超入門』(著:ますかた一真、監修:ザッパラス、刊行:インプレス)2021年12月9日発売。
いよいよ、という感じだ。にもかかわらず、11月に入っても一向に本は完成しなかった。発売日が決定しているのに内容未定とかあるのか? というかそもそも印刷は間に合うのか? ここにきてぼくは日本の印刷所のみなさまの技術力と、15世紀に活版印刷を発明したドイツのグーテンベルクに感謝することになった。
そんなぼくの執筆と同時進行で、何人もの大人たちが動いてくださっている。
書籍には著者近影という、作者の顔写真が使われるのだけれど、今回は本の監修をしてくださっているザッパラス社に撮影を全面協力していただいた。
何というハイクオリティ。どのくらいハイクオリティかというと、その後一度も自らの手でこの髪形をセットできたことがないくらいだ。プロの腕に感服し、馬子にも衣裳という言葉が身に染みた。
この誌面で以前触れたイラストも、イラストレーターのうのきさんに担当していただくことになった。ぼくの書いたラフ画を基に、読者のみなさまに届くイラストを仕上げてくださるのだが、このぼくが書いたラフ画が
こうなった。すごすぎる。さすがプロ。というのはあえて言うまでもないことだが、ぼくが「こんな感じのキャラクターだったらなー」と頭には浮かんでいるイメージを、ぼくのラフ画からぴったり形作ってくれた。というか「ラフ画」とかわかったような言葉使ってんじゃねーよ!と言ってやりたい。それくらい僕のラフ画はラフすぎるものだった…
自分の頭にある絵を最大限に魅力的な形で生み出してくれるこの作業は本当に楽しかった。
本文も、ぼくの力だけかと言われると実はそうではない。これはなにもゴーストライターがいる的なセンセーショナルな話ではもちろんない。
本を世の中に流通させてお金を頂くからには、コンプライアンスや情報として間違いがないかどうか、そしてもちろん内容についてを第三者の視点でチェックしてもらわなければならない。内容をチェックしてもらい修正点がぼくの元に送られてくる手筈になっていた。だが、ぼくも表現者の端くれ。内容に関するダメ出しに納得がいかなかったら筆を折るくらいの気概で臨もう。そう意気込んで修正点に関してのメールをチェックした。
そこにはこんな内容が書かれていた。
「○○ページ○行目の「そんな感じ」とはどんな感じですか?」
「○行目の「そこ」とはどこを指し示しているのでしょうか?」
表現どうこうの前の純粋な国語力の問題だった。
自分がわかっているつもりのことも、客観的に見たらだいぶ伝わりづらいということだ。
「○行目の『この気持ち』とはどんな気持ちですか?20文字程度で説明してください」
まさかの筆者が自分の文章から国語の問題出題されるという一幕もあった。面白いことを書こうとか、気の利いたことを言ってやろうという気持ちの前に、読んでいる人に正確な情報として伝わらなかったら意味がない。そして、それはひとり作業では意外なほど難しいということを知った。
それらに尽力いただいたのはインプレスの編集者の方だった。ぼくの拙い文法にペン入れをしてくださるし、出版する文章に関するルールも細かく教えてくれた。例えば今までぼくはSNSなどで文章を書くとき、句読点をかぎかっこのなかに入れるか(「~ということでした。」)、外に出すか(「~ということでした」。)についてはなんとなくの感覚で書いていた。また「そのときは驚いた」と「その時は驚いた」など漢字表記についてもあまり深く考えたことがなかった。しかし、出版物においてそれらにはルールがあることを知った。と同時にこれまで執筆日記も、LittleLightの編集担当の方にいかに迷惑をかけていたかを実感した。この場を借りてごめんなさい。
この原稿を書いているとき、ちょうどさそり座に4つも惑星が入っていた。さそり座は深い情念や洞察力という意味以外に、関わる相手により自分を変容させるという意味がある。今書いているのはぼくの本、それは関わってくれた人によって変わり、それを経て完成する。
本のタイトルは『占い芸人ますかた一真の自分で占えるようになる西洋占星術の超入門』で、ありがたいことに自分の名前を冠させてもらっている。でも本当にさまざまな人の手を経て出版に至る道を歩んでいるのだと、出版ギリギリになって気づくことができた。
それだけに、責任も重い。下手なことはできない。打ち合わせのときに冗談で編集の方に「今ぼくが警察に捕まったら、この本も出せなくなっちゃいますねー」と言ったら、真顔で「何か悪いことをしているんですか?」と本気で詰め寄られたのは、決してぼくがそういう人間に思われていたのではなく、その責任の重大さを伝えるためだった、と信じたい。
2021-11-28