

9月22日(日)
今まで占いの現場でとっさに出た言葉の中で使えそうなものを記憶から拾い集めたり、逆に書いている中で今まで現場で思いつかなかった例えが出てきたり。フリースタイルラップバトルの即興で出たリリックを曲にしてヒットさせるラッパーのような、東京生まれ占星術育ちスタイルで書き進めていく。
原稿の内容もさることながら、締め切りが近づくにつれて、他にもぼくが決めなくてはいけないことがたくさんあることを知るようになった。
ある時、打ち合わせで編集の方にこんなことを言われた。
「シロクバンでツカがアツくなるとノドが開きにくくなります。」
ノドが開きにくくなる? どうしてこの人は急にカラオケで上手に歌うコツを伝授してくれたのだろう?という疑問が浮かんだ。そして、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」を信じて、「すみません、さっぱり分かりません」と素直に無知を認めた。
編集の方曰く、これは本のサイズの話だという。通常占いの本の大きさは、四六判(シロクバン)か、A5判(エーゴバン)のどちらかで、A5判よりひと回り小さい四六判にすると文字数の関係で本の厚みの部分をさす束(ツカ)が増し、見開きの真ん中の余白部分をさすノドが開きにくくなってしまうということだった。
左がA5判で右が四六判
ぼくは結構本が好きな方だが、大きさにまで着目してこなかった。せいぜいハードカバーと文庫本くらい。というかサイズもぼくが決めるのか。サイズによって本の印象はだいぶ変わってくるらしい。それはそうだ。ぼくだって身長があと20cm高ければ、今ごろ六本木か麻布で今風に言えばブイブイ言わせているはずだからだ。本も人間もサイズ感が第一印象を決める。そう考えると、やはりサイズはぼくが決めたいと思った。
さらに別の日、編集の方から「デザイナーさんとイラストレーターさんを決めたい」と言われた。デザイナーとイラストレーター、ぼくからするとハヤシライスとハッシュドビーフくらい違いが分かりづらいのだが、デザイナーは本の表紙とタイトルロゴ、文章の段落や文字のフォントなどを決める人で、イラストレーターは挿絵などを描く人、ちゃんとスパゲッティとざる蕎麦のような明確な違いがある職種の方々だった。
「何気なく読んでいる本も、たくさんの人の手が関わっているのだなあと思いました」
そんな小学生の社会科見学のようなベタな感想を抱いてしまったが本当にそう。例えば占いの本で圧倒的に多いフォントは明朝体。でもぼくが書く本としてはフォーマルすぎるから、ポップなゴシック体でいくか、もしくは文字はフォーマルなままでイラストをポップにするか。そんな書き手の人となりを反映させる手段がいくつかあるということを知る。
そしてそのイラストレーターさんについては、まず何人かのサンプルを編集の方から送ってもらい、その中で自分のイメージと合った方に近いジャンルの方をさらにサーチする。イラストレーターさんを集めた名鑑のようなサイトの作風検索のような機能で「ポップ」とか「ゆるふわ」とか「アメコミ風」とか条件設定を絞るとそれに該当するイラストレーターさんが何人も表示される。これは楽しい。この作業に没頭しすぎて今書いている原稿の締め切りが過ぎてしまったことをこの場を借りて陳謝する。
中身を書く以外にもこんなに多くの工程があることに驚いたが、考えてみれば当たり前の話。自分が本を買うときも、いくつか候補があったら中身のデザインや挿絵が重要な決定権を握ってきた。文字のみで伝える書籍という媒体で、書く人のキャラクターやニュアンスを追加で伝えるために、ページのレイアウトや挿し込まれるイラストはこの上ない息遣いだ。本を作るには多くの人の手が必要。改めてそう思った。ぼくなどがイラストレーターさんを選ぶ立場になってしまいおこがましいと思っていたら編集の方からこんなメールが。
「イラストレーターさんにますかたさんの大体のイメージを伝えたいので、こんな絵にしたい、みたいなイラストを描いて送ってください」
・・・この人はぼくが高校のころ、まさかの美術で留年しかけたほど絵が下手だということを知っていて言っているのか? 占いの本を出すという話は頂いているけど、絵を描くなんて・・・。
ただ、この日は「創造性・自己表現」を表すぼくの5ハウスに月が入っている。通常よりもクリエイティブな日だということだ。そこに賭けて、思い切って絵を送ってみた。
本を作るには多くの人の手が必要、特に書き手に絵心が無い場合は。そのことを実感した日だった。
2021-10-14